最も大変な種類の試合だった。なぜなら日本のメディアもサポーターも「勝って当たり前」という雰囲気があったからだ。試合が始まれば勝つのはこっちだ、点が入るのは時間の問題だ、そういう雰囲気がある。選手たちも誤解して、相手がいることを忘れてしまう。それは大変に危険なことだ。相手は失うものは何もないので、落ち着いてプレーができる。そういう状況のゲームだった。
対戦相手にも何人かの優れた選手がいた。われわれはそうした選手を警戒しなければならなかった。どちらが背が高いかということは、あまり問題ではなかった。このような(芝のはげたデコボコの)ピッチ状態だったので、何かのアクシデントでゴールが入ってもおかしくない状態だった。
――勝ち点3という結果には満足しているようだが、内容については満足していないのではないか?
勝ち点6取れればもっとよかったが、1試合では3しか取れない(笑)。内容については、引き分けで満足しなければならなかったかもしれない。すべてではないが、試合のある要素、ある時間帯を見ると、そういう覚悟もしなければならなかった。私が代表監督になって今日が4試合目だが、いずれの試合でもものすごく効果的なプレーはできていない。別に選手たちを批判するつもりはない。選手たちに「君たちはここがいけない、こういうところが欠点だ」などと言い立てると、逆にコンプレックスとなってサッカーが下手になってしまう危険性がある。
これは日本サッカーの持病というか、あまりすぐに治りそうにない病気と考えるべきかもしれない。例えば以前の代表の試合、オマーン、バーレーン、シンガポール戦などでは、0−0、あるいは1−1のまま試合終了間際までいって、やっと1点差で勝つという試合があった。今日の試合については、それと違う面もあった。私たちのチームは、これまでよりもテンポの速い試合ができたし、チャンスの数も昔のチームよりも多くなったのではないか。ただ、そのチャンスを生かせないという点では同じだが。
さまざまなサッカーの哲学者がこの中にはいらっしゃるだろう。ここで巻がミスしなかったらとか、俺がゴール前にいたら決めていたとかおっしゃるのかもしれない。しかし、大事なのは相手がいること、こういったピッチコンディションであること、それからシュートをする瞬間、その場所まで走らなければならないということ、これらを忘れてはならない。別に皆さんに「やってみろ」と言っているわけではない。紳士的にお話しようと思っている。
イエメンに対して、まずは敬意を表したい。仮定の話だが、新潟の試合もかなり際どいものだったが、あの時ようやく(阿部の)1点が入る、さらには佐藤寿の追加点が入る、そういったことがなくて引き分けでこちらに乗り込んできた場合、あるいは今日の試合でイエメンが先制点を取った場合、どんな結果になっていただろうかと想像してみてほしい。相手がいるわけだから、簡単なものではない。イエメンがそうなっていたら、もっともっと攻めてきただろうし、試合内容もまったく違っていたものになっていたと思う。
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